こぶれ2017年6月号
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 むかしむかし、そのまた昔の――こんなセリフが出そうな遠い記憶をたどっています。ちぎれちぎれに思い出すのが奥おいらせ入瀬(秋田)の渓流。 一言で表現すると清らかな水の流れです。 約四十年前ですか、都内にいた物書き仲間の親ぼく会で奥入瀬ハイキング旅行。 慢性的ないつもの酒を呑のむだけでなく「前向きで楽しくきれいなものを」との、少数意見が大勢を決めたようです。 時節も春、これを書いている五月だった、ような気がします。 全長約十四㌔。十和田湖から流れ出た奥入瀬川が山野をかき分け、緩かん急きゅうに富んだ流れとなり景観を作り出す。 九州にない風景に小、中学生の頃、ワクワクした好奇心と嬉しさをともなった映画館に入る、興奮にそっくりです。 樹木から立ち上る清々しい香り、夢みたいな状況。だから記憶もちぎれ、ちぎれなんですね。 瀬音と名も知らぬ野鳥たちのコーラス。まだ癒いやしという言葉もないころのこと。 いつもの宿ふつか酔よいが体から一瞬にして浄化されたようです。 苔こけむした岩やうっそうとした木々をかきわけていた流れが、足下を横切っているのに驚きました。 渓流を歩く、これが現実にあったか、どうか。今となってはボーッとなって、なにか童話の世界を散歩したような。 執筆にあたり〝物の本〟で調べますと、約千年前の噴ふん火かで岩ばかりの谷となり、まず苔が生育し広がり、植物の種や胞子を受け止め、その連鎖で成り立ったのが奥入瀬の森とありました。 感覚的にはわかりますが、今ひとつ理解するには難しい話ですね。 この旅は、奥入瀬から岩手県の盛岡まで。  盛岡も初めての未知の地。歴史的には南部氏の本拠地。南部氏の家来、津軽氏が逃げて独立、これに対し南部氏の怒りと憎悪、これが参勤交代の津軽藩主を急襲した相馬大作の事件は興味ありました。 盛岡城址を見る。明治初年に天守をはじめ建て物が取りこわされ、石垣しか残っていなかった。 石がまるみを帯びていたのが印象にあります。 雪の都の城下町のふん囲気ある町並み。凄い書き手の山形鶴岡(庄内藩)出身の藤沢周平さんに描いてもらいたかったですね。きっと藤沢ワールドが構築されたことでしょう。 わんこそばの名店、直利庵に入った。藤沢周平さんが大好物の「すじこそば」を迷わず注文。 魚卵と絶妙な出だ汁しの味が、今だに舌とノドから離れません。これは明確です。 〽おいらせ川ーの、民謡調で演歌風のかん高い声を思い出しました。 女性の歌い手で名前も曲名もお手上げです。 加齢とともに記憶の風化もひどくなっていきます。 ボケ始めたのか? 捨しゃ身しん飼し虎こ(身を捨て慈悲をほどこす)大らかな気持ちで歩くことですな。名勝・奥おいらせ入瀬渓流2

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