こぶれ2018年3月号
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みどりの風著・三軒茶屋ニコ 吉よし村むら昭あきら(一九二七~二〇〇六)さんが「わたしの流儀」(新潮社)で「長崎の味」と題するエッセイを書いています。 長崎は食物の美味しい町で、昼食には名物の皿うどん、時にはちゃんぽんを口にする。 それらを商っている店が多く、町の人がすすめてくれる店に入るが、他の人はあの店よりこちらの店がいい、と言うので教えていただいた店に行く。 しかし十年ほど前からは「福寿」という店に行く。ようやく私の遍へん歴れきはやんだ。 故人となった元図書館長に連れて行かれ、満足してその店に落着いたのである。 皿うどんをひと箸はし、口に入れた瞬間、とにかく幸せな気分になり、長崎に来て良かったな、と胸の中でつぶやく。また、これほどうまい食物は珍しい、とも思う。 畏敬する大作家からこんなにほめられると、こちらまで嬉しくなり、新地の中華街の近くにある福寿に行きたくなります。 この店を教えたのは郷土史家でもあった永島正一さんだと思う。さすがに博学とユーモアのお人柄〝一流のジゲモン〟ですね。 吉村さんの作品は、太宰治賞を受賞した「星の旅」以来、現場証言、資料を周到に取材し、緻密に構成した「戦艦武蔵」「関東大震災」などの記録、歴史文学の新境地に脱帽ぼう、大ファンになる。 長崎とも関係のある「ふぉん・しいぼるとの娘」(吉川英治文学賞)は名作と言っていい。 これだけの才能、力量もありながらなぜか芥川賞とは縁がなかった。 一九五九年「鉄橋」が第40回候補、41回候補に「貝殻」、一九六二年「透明標本」、47回「石の微笑」が候補になるが受賞は果たせなかった。 そう「透明標本」は受賞通知を受けながら取り消される悲運もありましたな。昭和四十年「玩具」で妻の津村節子さんが芥川賞を受賞。二人の文学の師である丹羽文雄さんは「夫婦で小説を書くのは地獄だ」と。 吉村さんの人間としての器量の大きさは「これで女房のヒモになれるぞ」と胸を張ったことですか。 吉村さんは大の長崎好きで取材もあり一一七回も訪れている。歴史小説の資料収集が目的。 最近の地元グルメブームでBC級グルメが台頭し、長崎の皿うどん、ちゃんぽんも影が薄くなっているようで……。 むしろ小浜町の「ちゃんぽん」の方が有名になっています。 吉村さんがご健在なら、小浜ちゃんぽんをめし上がっていただきたかった。その味の感想を聞きたかったな。 ついでに温泉の味――小浜・雲仙もですね。 これらを題材に「長崎の味」のエッセイを再び筆にして欲しかった。 どんな「長崎の味」になったか、楽しみです。 長崎の味2

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