こぶれ2018年9月号
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みどりの風著・三軒茶屋ニコ ことしも炎天の8月9日がやってきました。 73回目。 いつも思うことですが、この炎天が雨か曇りの悪天候だったら、あの日があったかどうかです。 米軍の資料など(諸説ありますが)米軍は戦略的な意義に加え、原爆の威力の正確な評価、それを効率的に使う視点から、それまでに空襲被害が少ない都市を選んだ、そうです。 その結果「京都、北九州・小倉、広島、新潟」の4都市がリストアップされ、当初、長崎は入っていませんでした。 戦後の日本統治のことまで考えた結果、伝統文化財が集中している京都は日本人の恨うらみを買う恐れがあるため外されたそうです。 まるで戦争ゲームに近い感覚。 これが戦争なんです。尽きるところ原爆の効果を試す実験と言っても過言ではありません。 「IF(もしも)」と言う仮定ではなく、肯定的意味で「長崎が曇りか雨だった」とすれば8・9は消えていた。 当日の天気図を見ると、夏型の気圧配置だが日本海に気圧の谷があり、日本海側は曇り空、太平洋側は晴れ、小倉は曇りがち。 テニアン島を出発した爆撃機「ボックスカー」は小倉で三度目の目標確認に失敗し断念、長崎に向かう。 歴史では善よくも悪くも天気が決定打となるようです。慶長5年(1600年)9月15日、関ヶ原の合戦。 今の太陽暦で言えば10月21日。徳川家康の東軍、石田三成の西軍が対峙。 霧が晴れなかったら西軍の奇襲戦法があり、東軍はかく乱され武運は西軍に。 決着には1ヶ月の長丁場が予想されたが、霧の晴れた午前8時、鉄砲が撃ち出され午後2時には勝負がついた。 筆者に言わせると、天候回復で絶対優位だったはずの西軍が敗退。万馬券のような大番狂わせですネ。 後世の史家がいう西軍・小早川秀秋の裏切りが大勢を決めたことになっているようですが、戦国時代は裏切りなど当然の話。 むしろ、それに気がつかなかった石田三成の歴史的なボーンヘッド。 6時間という効率的な戦闘で、家康はこのあと270年間の天下を取りました。 歴史を決めるのは天気。 元寇の神風が吹かなかったら? 日本海海戦で「浪なみ」が高くなかったら? こんな思いが次々に走ります。 でも戦争がどんどん遠い話になる現在、被爆者の平均年齢は82・06歳。 誰かが原爆の後遺症を含めた惨禍を語り継がなければと、炎天の夏に「天気」の話どころではありません。 73年目の夏、原爆投下で「何を学びどうすればいいのか」広島、長崎だけでなく日本人が根源的なことを考える時でしょう。炎天 73年目の夏こぶれを楽しみにしております。出来たら、月の上旬に届けて欲しいです。占いを早く見たいから(笑)(南島原市の深江のおばあちゃんさん)深江のおばあちゃんさん、占いは大事ですよね。月の初めに見たいですね。支店では、10日までにお届けするよう努力しています。2

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