こぶれ2019年7月号
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みどりの風著・三軒茶屋ニコ 外は雨。 しかたなく机上にある一枚のカラー写真をながめます。 在日(現ロシア)ソ連大使館で撮影された元ソ連外相エドアルド・シェワルナゼ氏と本島等元長崎市長の会談風景。 そしてカメラをそばにおきメモをとっている筆者。そこには忘れ得ぬ〝握手事件〟の序章がありました。 一九八五年、ソ連外相にシェワルナゼ氏が就任。当時のゴルバチョフ共産党書記長の右腕としてペレストロイカ(改革)の推進役として登場。 ほとんど無名の人だけに内外のマスコミの関心も高く、派手に連日報道されていた。 その翌年1月、シェワルナゼ氏が初来日。その折、ソ連大使館で被爆地の長崎、広島両市長を招き、個別に会談することに。 地方紙記者にとって仕事は、在京長崎県人を中心に国会議員、経済人さらに芸能人と幅広いが、中身は薄い。 肝心のことは大手紙に持って行かれ、どうでもいい消息記事ばかり。 東京支社勤務6年、いい加減くさり始めていただけに超ビッグニュースに身ぶるいするほど。 大手紙に仕返しも含め千載一遇のチャンス。「非公開の会議を素すっ破ぱぬいてやろう」とムラムラと子供じみた闘争心がわきました。 その日(1月19日)大使館は報道陣で大混雑。本島等長崎市長がやって来た。 警備関係者や報道陣を縫って「おひさしぶり」と声を掛け、さり気なくそばに「お持ちします」と市長が手にしているバッグを〝奪取〟。 「ん……?」と一瞬、当惑の表情。 が、何事もなかったように足を会議室へ。私もバッグを手に市長を追う。まさに虚をついた捨て身の速攻か。 「あれは記者じゃないのか」外務省記者クラブ員の怒鳴り声が背を襲う。 会談内容は今でも頭のメモ帳に刻まれている。まず外相が核兵器廃絶のため長崎、広島を舞台にした大集会の提案。 本島市長も長崎市からソ連に平和使節団の受け入れ要請。ふと気づいたのはシェワルナゼ氏の優しさ。したたかなロシア革命の政治家として大丈夫なのか。 会談後、筆者のルール違反の取材が明らかになり大騒動。 (覚悟はしていたので)カメラ放列の前で外相と本島市長の握手。 次いで筆者も外相に自ら握手。ふっくらとした掌の感触。そう、温かい大福餅に似ていました。 当然ながら報道記者から糾弾。この〝大福餅〟を唯一の武器に「あなた方も目撃したソ連外相との握手。ここは治外法権のソ連大使館。外相の握手は(ソ連が)私の取材を認知した唯一の証」と弁解ならぬ理屈もない方便をまくし立て逃げ切りました。 その荒業が特ダネの記事と会談写真です。 記者の原点ですね。 グルジアの 寒い風土に 厚い掌 五と七と五を指折り数えて、平凡な追悼句を詠よんでグルジア元大統領シェワルナゼさんにお別れをします。シェワルナゼさんの掌て2

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