こぶれ2019年10月号
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みどりの風著・三軒茶屋ニコ 令和になり百五十日がアッと言う間に過ぎました。 年号は変わっても人も世の中は同じで社会的な事件・事故も変わりません。 目についたのは吉本興業の芸人(タレント)の反社会的グループとの闇営業。テレビが飛びつき連日の報道合戦。 結局、吉本(会社)と芸人側のすったもんだの大騒ぎ。芸人の舞台復帰でおさまったようで……。 強大な力を持ち、傘下に多くのタレントを抱えヨシモトは押しも押されもせぬ大企業。巨大な劇場を自力で建設、大きな歯車に順応する素直さが要求されています。 芸人は個性の問題だ、という持論の筆者には、ちと寂しい限りです。 昭和四十年、大阪の子供は土曜日の昼、学校から帰るとテレビにかじりついて吉本新喜劇を見る時代。 新喜劇は昭和三十四年うめだ花月開場の際、吉本バラエティとして旗揚げ。出演者は花菱アチャコを中心に佐々十郎、大村崑、中山千夏らが勢いよく元気な芝居をつくりました。 さらに昭和三十七年に京都花月、翌年になんば花月開場と日の出の勢い。ルーキー新一、平参平、白羽大介の三チーム制になり森信、秋山たか志、花紀京が幹部でガッチリ。 筆者の知る限り桑原和男は現在も活躍中。当時は当たり役のお婆さんでなく二枚目、でもお尻しりを突き出して歩くポーズは、この頃もやっていました。 なかでも好きな財津一郎。芸歴は豊富で独特のギャグを連発。「――ちょうだい~」「厳し~い」、現在もピアノCMで「――ちょうだい~」のギャグは懐かしく嬉しい。 記憶にあるのはヘレン杉本。研究生として入ったとたん看板女優。当時、外国人が珍しい時代にガラの悪い関西弁が飛び出す、キャラが大人気。 しかし横山やすしとコンビを組んだばかりの西川きよしと結婚、身を引きました。 映画少年だった筆者の夢が旅回りの座つき作者(台本書き)そして新喜劇の文芸部員(脚本)がホロ苦く破れ、忘れかけていたのに吉本の今度の騒ぎ。 どっちが「悪い」とか「ええ」とかの事でなく、上方の笑いが低迷していることを挙げます。 生活には笑いが必要。生活に密着した笑いが共感をよびます。これがなくなっています。楽がく屋やネタを乱発し、大ウケを狙う芸人の多いこと、実になげかわしいことです。 まず工夫が足りない。 表現には表情、動作によるものもあるが、これにたよりすぎています。 やはり、なんといっても言葉によるものが微妙な面ではパワーを発はっ揮きします。そう言葉が足りないんですね。 日本語の持つ特性、そして使いこなす楽しさを、芸人(タレント)さんはもっと笑芸のなかで百二十㌫発揮して欲しい。 新しい時代、令和にマッチした笑芸がいかなるものか勉強して欲しい。笑 芸2

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