こぶれ2020年7月号
2/20

みどりの風著・三軒茶屋ニコ ポツリ、ポツリ、庭先に立っていると天から水滴。 入梅、やはり来たか。毎年、季節の恒例とは言え、気が滅めいります。 古いメモ帳を取り出しある一節を。 生 老 病 死の移り来る事、又これに過ぎたり。四季はなほ定まれるついであり。死期はついでを待たず。 死は前よりしも来たらず、かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遙かなれども、磯の潮の満つるが如し。(兼好法師 一二八三年―? 徒つれ然づれ草ぐさ一五五段) 高齢になると無邪気に新年を寿ことほぐ心境はどこへやら。後ろから迫りくる気配の強まりをいやが応でも感じざるを得ない。 この事は、お正月に、ふと雑感した思いがあるが、新年早々にどうか。気の重くなる梅雨まで持ち超しました。 筆者若き頃、浅薄にも「死は前からでなく後ろから来る」なる言は欧米の誰かが言っている事ばかりと思っていました。 ただ欧米流に言うならば「死は前から来るがこれにひるんではならない。敢然として立ち向かえ」と強気のトランプ大統領の顔を思い浮かべながら、こうなるかもしれません。 死を前にとらえるか後ろにとらえるかで宗教観も変わるように思われます。これに関しての論考書物が手元になく、浅学の筆者にはわかりません。どなたかに御教示をたまわりたいものですよ。 そう言えば最近、コロナ感染防止ポスターで劇画家さいとう・たかをの大ヒット作「ゴルゴ13」が「俺の背後に立つな!」と叫んでいたが、これは簡単明りょうで分かりやすかった。 徒然草はご存知のように鎌倉時代末期の随筆。吉田兼好作。自然、人生のさまざまな事柄を、ゆたかな教養をもとに自由自在、人間味にあふれています。 余談ながら「枕まくらの草そう子し」と並ぶ随筆文学の代表的な古典ですね。 ポツリ、ポツリからシトシト水滴に移れば梅雨入り。 そうなれば、今さらの徒然草であるが、若い時よりこの年でこそ味読ができそうです。(時間つぶしではありません) できたら達観の境地を受け入れたらと心に期することはあるのですが……。 でも筆者の耳底には味読、達観など高尚な思考、熟考より「水音」が低奏音のように響き、シトシトがザーザーと高音になれば裏庭のガケ崩れ、家屋被害と気が走り、きっと味読どころではありません。 兼好法師に「身の丈たけを知りなさい」と。 やはりゴルゴ13の熟読ですかな。梅雨雑感2

元のページ  ../index.html#2

このブックを見る