こぶれ2020年8月号
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みどりの風著・三軒茶屋ニコ また八月九日が来る。 風化と言うより筆者には物忘れの状態でしょうが被爆の日が、記憶から薄れてきます。  天空で光ったオレンジ色と同時に台所の窓ガラスが四散、七輪にかけていた麦のおかゆが吹き飛び、裏庭に掘っていた防空壕ごうに飛び込み身をかがめていました。 夕刻に父が勤務先から持参した鉄カブトの中にあったひと握にぎりの焼き豆など……断片的に印象に深いものがあるだけ。 当時五歳。幼児らしい思い出になっています。 同居していた祖母が実家のあるお寺に出掛けたまま再び帰宅しませんでした。 実家にも寄っていないし、西海行の大橋バス停付近で被爆死したのでは……こんな思いを強くしたのは小学校に上がった物心のついた少年の頃。 原爆投下の大惨事にしては命も助かりケガもなかったことから情緒的な 風化が年ごとに拍車をかけているようです。 テレビで全中継していた沖縄戦終結75年「慰霊の日」を観て考えさせられました。 最後の激戦地・糸満市摩ま文ぶ仁にの平和公園。例年五千人の出席者が二百人とコロナ禍で少なくなっていますが内容はこれまでにない実感のあるもの。 玉城デニー知事は平和宣言で、人類史上他に類を見ない惨禍を経験した被爆地の広島、長崎と「平和を願う心を共有する」と訴え、不戦を誓いました。 被爆地と共有、実感のある分かりやすい訴え、これだと筆者もうなづきました。戦争の被害者は被爆だけでなく、全国民がそれぞれの地域、状況で体験したはず。これを大きく一つにまとめれば、不戦の誓いは、さらに前向きに進めることが可能です。 地元高校生の「平和の詩」も。これは昨年、女子中学生が語りかけ、心に今でも残っています。 今年は首里高三年の女子高生で「戦禍を生き延びたあなたのおかげで今がある」と感謝とバトンをつなぐ決意を込め、ゆっくり読み上げました。 平和学習で入った激戦地の壕。真っ暗闇での経験から当時を生きた人々に思いをはせた。迫り来る悲劇を知らなかった幼子や独りぼっちになった少年、少女、捕ほ虜りょになるなとの教えに背そむき、少女に投降をうながして命を救った人。 「あなたがあの時」のあなたは特定の人でなく聞かせてもらった体験談などから想像した「あなた」と言う。 長崎の8・9。ふと思い出したのは、原爆投下前の朝の空を仰あおぎ雲一つなく、青い、蒼あおい湖の青にも似た空の〝あお〟でした。 あの日の〝あお〟とは生命、いのち――ではないのか。 風化がどんどん進み、記憶がなくなってしまっても永遠の8・9は頭にこびりついて離れないでしょう。 そこには「戦争は二度とご免」があるからです。永遠の8・92

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