こぶれ2020年9月号
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みどりの風著・三軒茶屋ニコ ショッキングなタイトルになったが喜劇風のリアルな作風は〝森崎映画〟そのもの。 机の上にある白紙に近い風化された似顔絵。 かすかに顔のりんかくをとどめる鉛筆の残り火ですか。三十年前に森崎監督、自筆の筆者の似顔絵。じっと目をこらしていると初対面のあの日が浮上しました。 東京支社から長崎本社への内示を受け、長年の願いだった森崎監督とのアポを取りつけました。 前置きが長くなりましたが「時代屋の女房」「ペコロスの母に会いに行く」などを手掛けた島原市出身の映画監督、森崎東(もりさき・あずま)さんです。 電話で銀座と言いますと「そ、そんな!」とごていねいに遠慮されました。銀座裏の安飲み屋なのに、人柄のよい森崎さんと第一印象。 とにかく〝銀座〟で豪飲。意気投合です。 別れ際、店の人に頼んだ画用紙と鉛筆でサラサラと描いていただいたのが似顔絵。 「映画のコンテで慣れてるから」と一言。お礼を言う暇もございません。 さっそく返礼のご招待。茅ヶ崎(神奈川)の自宅。「駅まで車でお迎えに……」とお待ちしていると、車には違いないが、自転車000、それもかなり使い込み雑音がします。 「後に乗って」と指示され荷台に腰を降ろすと、当時飲酒ぶとりで肥満体の筆者に重さで前輪が浮き、森崎さんが力を込めてペダルを踏んでも前に進まない。 「う……ん」とうなる森崎さん。汗だく。浮いた前輪と、こぎ手、乗り手と喜劇〝森崎映画の一シーン〟。結局、自転車を手押し自宅までトボトボ歩行、忘れられない思い出です。 自宅では不在の奥様手料理の五段重ねの九谷焼に刺し身をはじめ酒の肴さかながぎっしり。二人だけの酒盛り。至福の時でした。 肝心の映画の話はなく、故郷島原のことばかり。監督の独壇場で聞き役は筆者。 水無川の由来から伝説まで。子供時代、自宅二階から海に飛び込み海水浴。 「とにかく山、海、自然の宝庫。夢と希望のある街でした」と胸を張っていたのが懐かしく、切ない。 以来、仕事に追われ、それっきり。筆者は暇でも、監督には映画界が待っていたからです。 二〇一二年でしたか、「ペコロスの母に――」で長崎のロケでお会いしたかったのですが、体調不良とお聞きし「映画に全力をと願い」遠慮しました。 これが残念でなりません。無理してでも押しかけていれば……悔やみます。 山田洋次監督が言っています。 「魅力的な人柄、それは作品に鮮やかに反映されて森崎喜劇という誰にも真似のできないジャンルを確立した」と。 島原が、九州いや日本が誇る森崎東さんが七月中旬、死去しました。九十二歳。たくましく生きる庶民をユーモラスに描き、人情喜劇の名手でした。 梅雨明け後、庭に自生している紫式部という花を家人に教えられ初めて知った。 一㍉ほどのツボミが紫色に染まり始めた。この花を手向けたい。顔のない似顔絵2

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