こぶれ 2022年3月号
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名物教授の講義         残               もみ2〝ずーっと昔〟拝聴する機会を得まし名物教授という人たちが少なくなり大学に足を運ぶのも縁遠くなりました。方言学の権威で長崎大学教育学部教授、愛宕八郎康隆さんの定年退職した最終講義「方言の旅・回顧」と展望をたが、今でも心に残っています。そこで方言学とは、人間学でもあることを実感させていただいたからです。愛宕さんが、この道を志したのは、いろんな人との出会いにある。両親の里(石川県白峰村)の懐かしい響。子供心にも引かれました。小学校の時、転校。言葉によるイジメに遭う、苦い経験も。学徒動員の名古屋で、土地言葉や他県のお国なまりに触れました。筆者も苦い経験に似たものがあります。小学校低学年・厳原(対馬)に諫早から転校。ここでは港に近い商店街にびた夥おだしい。辞書で調べた漢字が対馬土行くのを下しに行く、住宅地がある方に上がっていくのを上かに行くと。当初は地理に慣れず「カミとシモ」も区別がつかない。冷やかされ、ハヤシ立てられ通称のことが区別がつかずまごまご。明確なのは方言でなかった。近所に「おびただしい人の群むれ」を口ぐせにする理髪店があった。暇でたまに客が来るとこのセリフ。往来は人出もなく寂しいものなのに。父も時折り「おびただしいに行って来た」と店名にも。産になりました。愛宕さんとは受け止め方が違いますな。広島での学生時代・運命的な出会いがある。師となる国語学者・藤原与一さん。学問の基本を学ぶ。「人間は不安と自信を半分ずつ持つこと」だ。これが方言学、生き方にもつながる。数え切れないほど調査カードがあります。全国各地の老人らから聴取した方言などの記録。出会いの光景が、いまでも鮮明と言う。亡くなった人も多い。いまでも貴重な言葉だけが残っている。 「この人たちのひたすらな協力で今日がある」。純粋な心が調査・研究の支えになったそうです。長崎方言など本県に関する著名な研究も数多い。昭和六十二年から長崎新聞に「ふるさと言葉」を二年越しで連載。県内全市町村の方言状況を、記述体系で紹介し話題を集めました。そのスクラップの切り抜き帳が手元から消えているのは、罰当たり? 念至極。申しわけないことです。八郎康隆。珍しい四文字のお名前。特に由来や意味はないが「親の子供に寄せる愛と期待の表現では……」と。ここにも人間学が、におってきます。最近、名物教授がいなくなり、大学も寂しくなりました。世の中がそれだけ小さくなったのか、教育だけでなく、地域社会の衰おえも目立ちます。人あっての現代社会――思いにふける、このごろです。とろ著・三軒茶屋ニコみどりの風

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