こぶれ 2023年12月号
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師走 「臘月や 極ご月げ、臘ろ月げ、春待月、梅初月などの歳時記の「師走」の項を繰ってみました。語がならんでいる、十二月の異名。これらは似た意味を持つが、微妙な雰囲気の違いもあるようだ。なかでも極月。その一年がまさに極まり、徐々に幕が下りていく実感があります。山口青邨の「極月の にあり」。この月の縮図をみる思いがします。中国の猟月から転じたのが臘月。文字通り猟をして獲物を祖先の霊に供え、子孫の繁栄を祈る月だった。事務卓上の 西島麦南の句だが、年の終わりの流れを感じる名場面だ。師走の語感は、人々が右往左往するイメージが浮かぶ。僧(師)が忙しく走り回る「師はせ月」から出たとされる。また「為し果つ月」(一年の終わりの月)人々人々 花の塵ち」。が転じたとも。 「しはす」を「仕事が終わる」とする意もある。言い得て妙だ。こんな諸説紛々も師走ならでは……。芭蕉の句に「旅寝よし 夕月夜」がある。四十一歳の時、江戸を出発して西上の旅に出た。旅先の大阪で病死するまでの十年間―どの地で詠んだのか。人生の終着駅へカウントダウンの響きが……。と、書いて筆者の師走は、 「熱い」あつい夏が今だにあります。そろそろ届き始めた年賀欠礼の葉書に一つのシーンが重なりました。松浦市出身の劇作家・岡部耕大さん「ふゆ―生きて足れり」が幕を閉じた。に〝女の松浦四部作〟と呼ばれるあしかけ9年にわたって上演された最終章だった。その岡部さんが今夏、逝去。78歳。その死を悼むで2006年に退社以来、長崎新聞に筆をとりました。十八、九年ぶりですか。宿は師走の 岡部さんは新宿を根城に小劇団を率いて「肥前松浦兄妹心中」「倭人伝」など数多くの力作を手がけ、松浦の原風景を男っぽい手法で舞台化していきました。 〝四部作〟で女性を書ける劇作家になった、と思います。岡部さんから届いた昨年の年賀状の添え書き「もう少し頑張りますが……」心に残ります。長崎市出身の東由多加さんの早逝も惜しまれます。岡部さんとジャンルは違い、自らの作・演出によるミュージカル80作品を上演。都会的なセンスとリズムが一世を風びした「東京キッドブラザース」。筆者に言わせれば天才的な演劇人でした。確か岡部さんに追悼文を書いてもらいました。師走。除夜の鐘かを聞くまでは、なんとなく切ない日が続きそうです。著・三軒茶屋ニコ    り     ね   道   うつつく        282年の「肥前松浦女人塚」を序章90年12月に東京・六本木の俳優座でみどりの風

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